キスの理由 | |
ソファで食後のお茶をしていると、さんがふと席を立った。 「CD替えて良い?」 「好きなのに、どうぞ」 今まで流れていたクラシックが消えて、部屋の中は彼女が立てるCDを選ぶ音だけになった。さんは、意味もなく点いているテレビが好きじゃなくて、見ていた番組が終わるとすぐに、消しても良い?と聞いてくる。だからといって、まるっきりの無音は、さん曰く、恥ずかしいんだそうで、何時の間にか、テレビを消した後に流す、耳に心地良いCDが増えた。 いつまでもカチャカチャとCDケースをひっくり返す音が続くから。 「何、捜してるの?」 「んー、何という訳でもないんだけど」 ソファから立ち上がって、さんの後ろから手元を覗き込む。 「どんなのが良いの?」 「んー、ピアノとかあったっけ?」 「協奏曲?ソロ?」 「ソロが良いなぁ」 いつもは、適当に目に付いたものをかけているのに、今日に限ってこだわるのに、理由はあるのか? 「確か、一つくらい、あ、これかな」 彼女にCDの表面を見せる。彼女が頷いたのでコンポのCDを取り替えて、スタートする。 「ありがと」 始まったピアノ曲を後ろに、さんがはにかむように笑う。彼女の嬉しくてたまらないという全開の笑顔も好きだけど、こんな風に小さく笑う表情を見ると、たまらなくなる。というか、これが世間で言うベタ惚れというのかもしれない。 自然に口許が綻んで、彼女の肩を抱くとソファへ戻る。 さんはソファに埋もれるように深く腰掛けると、ちらりと俺の方を見た。何か言いたいことがあるらしい。 カップを片手にさんを見た。 「なに?さん」 「え、なに?」 目が合うと慌てた表情で問い返す。これは直球で聞かない方が良いらしい。 「いや。飲まないの?」 彼女のまだ紅茶が残っているカップを素知らぬ振りで示した。彼女が切り出すのを待とう。 「あ、うん。飲む」 身体をソファから起こして、何かを考えながら紅茶を飲んでいる。その素振りがあまりに可愛いくて、再び綻ぶ口許を片手で覆い隠した。まるでエロ親父のようだ。 「−−ねえ、冴木君」 「ん?」 「和谷くんて、可愛いよねえ」 ……はい?いきなりさんは何を言い出すんだ?確かに先週、和谷と進藤に会わせたけれど。 「冴木君の弟弟子なんだよね」 「そうだけど、」 和谷は確かに可愛い弟弟子だ。だけど、それが?と、思いっきり、口調が警戒態勢に入る。 「進藤君もそうだよね」 「まあ、そんなものかな」 正確には違うけれど、まあ似たようなもので可愛い弟分である。 「進藤君も可愛いよね」 ……。 「二人とも年下なんだよね」 さんは溜息を吐きながら、飲み干したらしいカップをテーブルに置いた。そして空耳でなければ、小さく良いなぁという呟きも聞こえた気がする……。 「さん?」 和谷と進藤が可愛いと、一体、何が良いんだ? 今日会ってからを思い返してみる。変わったところなんてなく、何時も通りで。……。 「さん」 「……冴木君、お願いがあるんだけど」 再びソファに埋もれていたさんが上目遣いで、小さく俺に言った。うわー。もう少しアルコールが入っていたら、即、理性を飛ばしているのに。悲しいくらい素面で、さんの滅多にない本気のお願いを推測しようとする頭も残ってる。目一杯、理性全面でさんに柔らかく訊く。 「なに?」 「あ、やっぱり、止めとく」 ほんのり頬を染めて、俺の視線から顔を隠すように、ソファの背もたれから身体を起こした。 「さん。そこまで言って、止めは止め」 彼女の顔をそっと俺の方に向けさせると、彼女は逃げるように、またソファに埋もれてしまった。 「止めは駄目?」 「止めはダメ」 「うー、それじゃあ、忘れてね。聞いて、聞いてくれたら忘れてね。絶対明日には忘れてね」 「すぐ聞けるものなんだ?」 「うん。簡単」 「で、忘れて良いもんでもあると」 「そう。絶対、覚えてないでね」 ということは、まあ、別れ話とかそういったものではないだろう。さんにとってみれば、和谷も進藤も弟のような意味で可愛いんだろうと判っても、自分の彼女の口から他の男が可愛いと言われて、次にお願いと言われれば、まさか無いとは思っていても、穏やかでいられないのは仕方が無い。 「了解」 片手を上げて、宣誓する。 「えーとね、あ、向こう、向いてて」 自分を見るなと言う。何がそんなに言い難いのか、頭を巡らせるがこれといったものは思い付かない。 「はいはい」 「あのね……」 背中で迷って言い淀む気配がする。こういう時は静かに待っているのが得策。本当は、振り向いて朱くしてる筈の顔を覗き込みたいんだけど。 「……せ、先週、和谷君にしてたように、撫でてくれる?」 最後は囁くくらい小さくなって音にされた言葉の内容に、俺は振り向いた。 「さん?!」 「あ、もう、見ちゃ駄目!」 真っ赤になった頬を両手で押さえて、ますますソファに埋もれるさん。見ちゃ駄目って、大体、撫でるなら見ないと出来ないし。 「撫でるって、あの和谷の頭をくしゃくしゃにしたやつ?」 こくこくと頷かれる。 上目遣いでそんな可愛いことを言われたら−−。 ゆっくり手を伸ばして、柔らかい髪に触れる。そっと、和谷にやるような荒っぽいものではなくて、優しく撫でる。さんは俯き加減で、気持ちよさそうに目を瞑った。 どうしてこの人はいつも、こんなに可愛いことをするんだろう。きちんと大人な顔をして働いてるのに、その陰からぽろりぽろりと可愛い仕草が零れてくる。 頭を撫でる右手はそのままで、左手でソファに埋もれてる身体を掬い取る。さんは大人しく俺の胸の中に収まって、大人しく撫でられている。 「−−和谷君が撫でられてるのを見て、良いな、って思ったの」 ぽつりぽつりと顔を俺の胸に埋めたまま呟く。 「冴木君がすごい和谷君、好きだったから。そういうの良いなって。男の子同士って良いなって」 そこでさんは顔を上げて、俺を見た。 「冴木君に頭を撫でて貰ったことなかったなって思って。私が年下で、和谷君や進藤君みたいだったら、撫でて貰えたのかなって」 俺の胸に額を当てて、顔を隠す。 「なんか、急に甘えたになってしまったのです。−−」 その後に続く言葉が分かって、絶対に言わせたくなかった。 「−−っ!きゃあ」 盛大にさんの頭を掻き回す。 「や!冴木くんっ」 「俺の和谷に対する気持ちって、こんな感じだけど良い?」 「髪が、髪がくしゃくしゃになるー」 「和谷もいつもそう言うなぁ」 「やーん、冴木君!」 叫び声を上げて、俺から逃げようと足掻くけど、和谷でいつもやっているから逃さないようにするのは簡単。無駄な抵抗は、体力を消耗するだけだよ? その騒ぎの後には、俺の胸の中で絶え絶えに息をする髪の毛を絡ませたさんと、彼女を抱き留めながら、肩口で笑う俺がいた。 「俺、頭を撫でるのって結構好きでさ。本当はさんも撫でたい時とか沢山あったんだけど、さん、そういうの嫌かなって、いつも止めてた」 一応、さん年上だし、年下から撫でられるのって、もしかしたら嫌かもしれないって。 さんがそっと顔を上げる。 「冴木君……」 「それに、和谷も進藤も可愛いくて、頭をくしゃくしゃにしてやりたいとか思うんだけど、俺は、出来ればさんは可愛さのあまり、抱き締めたりとか、髪を梳いたりとかしたいんだよね」 乱した髪をそっと梳きながら、ウィンクをするとさんは顔を朱くした。 「冴木君!」 可愛い可愛いさん。和谷の可愛いとは種類が違って、だから撫でたい動機も違って、動機の延長にある気持ちも違う。 「あとキスとかね」 そして、何か抗議を言いかけた可愛い口を急いで塞いだ−−。 |
突発で書いてしまいました。 なんかすごい甘い話になっている気がします。 後から見直したら、恥ずかしくて居たたまれないかもしれません。……。 途中、冴木さんが言わせたくなかった言葉は「ごめんなさい」です。 そして宣誓したくせに、冴木さんはことある事にこのお願いを実行するとかしないとか……。 あ、文字が見にくいなどありましたら、教えて下さいませ。 20031004 |