所在不明な理由 +++++ 8 | |
一晩寝て、二晩寝て、気が付いたら考えていて、それでも諦めがつかない。冴木君への感情を、“好き”を友人の“好き”に変えることが出来ない。この感情を殺すことが出来なくて、一つ一つ手足を奪っていくように殺いでいこうと、自分の心に問い掛ける。 どこが好きなの?姿形が格好良いから? −−なら、あの人だって格好良いじゃない。 彼が優しいから? −−あの人だって優しいでしょ? 彼の傍が居心地良いから? −−そんなの彼が無理してるからに決まっている。今だけで、その内にあの人と同じように思うわ。 住む世界だって違うでしょ? −−今にきっと合わなくなる。 幾つも数え上げて、何度も言い聞かせても、それでも好きなんだと、感情が喚く。 どうして、こんなことになってしまったんだろう……。 友人で充分楽しかったのに。いつ私は変わってしまったんだろう。冴木君への気持ちはゆっくり水面下で変容して、こんなになるまで気付かなかった。 あの人への気持ちが変わった訳ではなくて、ただ熱が消失なってしまっただけ。その方がどんなに酷いことか。こんな風に人の気持ちが移るものかと、自分がこんなに勝手な人間だったのかと知って、心臓が切られる思いがする。 このまま何も言わずに、冴木君も、あの人も、そして自分も、このまま誤魔化していけるだろうか。誰も傷つかず、一番幸せに思える道を選んでもいいだろうか。その不実さに私は耐えられるだろうか……。 二日後に逢う冴木君にどんな顔をしたら良いのだろう。 珈琲屋に着いた時、冴木君はまだ来ていなかった。今日は研究会の日のはずで、早い時は早いけど、遅い時はかなり遅くなる。席に腰を下ろして、迷ったあげく、胃に優しそうなココアを頼んだ。ストレスに弱い覚えはないのに、今回ばかりは胃が痛い、気がする。 時間潰しに文庫本を手にしたけれど、内容が少しも頭に入ってこない。目は字を追っているだけで、意識は冴木君のことを考えている。どう接すればいいのか、分からないのに、逢いたくて仕方がない。でも逢うのも怖くて、このまま帰りたい気もする。ぐちゃぐちゃの気持ちで座っている。 −−一番怖いのは、冴木君に自分の気持ちを知られてしまうこと。知られたら、二度と逢えなくなるかもしれない。それが怖くて堪らない。 本を閉じて、両手で頬を押さえた。今までと変わらない私で逢えるように、願いを込めて目蓋を伏せた。 「−−お待たせ、さん」 頭上から振ってきた声に、驚いて目を開けると冴木君が立っていた。柔らかい笑みを口許に浮かべて、目が合うと笑みを深くした。見惚れてしまうのを誤魔化すように言葉を押し出した。 「あ、お仕事、お疲れさま」 「さんも……」 「なに?」 何か途切られた間があって問い掛けた。どこかおかしいかと、疚しさに不安にならずにいられない。 「ん……」 小さく首を振って、椅子に座ると冴木君は本日のお勧めを頼んだ。なんとはない歯切れの悪さに首を傾げる。 「あ、来週の土曜日、空けられそうだけどさんの方はどう?」 切り出したのは、映画の約束。来週からロードショーが始まるから、予定が合えば初日に行ってみようかという話をしていた。 「本当?!私の方は大丈夫だけど、無理してない?」 訊いてから、自分が変わったことを悟った。先週までの私だったら、無理してないかなんて訊かない。ただ、予定が合って嬉しいと、そんなことを言っただけに違いない。嫌われたくないと、隠し事があるから余計に臆病になっている。今になって、こんな恋をするだなんて、呆れるしかない。 「してないしてない。初日なんて、俺、初めてかも」 「私も初めて。でも、混むんだよね」 「混みそうだね。都落ちすれば、少しはましかな?」 「都落ちって、どこまで?」 冴木君の言い方がおかしくて笑った。笑って、はしゃいで、意識から全てを消し去ろう。いつもと変わらない私になれるよう、暗示を強く強くかける。 「どこまで行こうか?どうせなら、ドライブがてら山でも越えようか?」 「その方が混んでいる気がするけど?」 「確かに」 二人で顔を見合わせて笑った。良い友人の冴木君とドライブ。それだけで楽しそうだ。 「冴木君の車ってなに?」 ちょっと照れ臭そうに彼は鼻の頭を掻いた。その仕草で車を大事にしているのが解る。 「古い型のビートル」 「あの丸こくって可愛いやつ?カブトムシ?」 「そうカブトムシ」 確か、あれは玄人好みの車だった気がする。 「手が掛かるけど、可愛いよ」 「手が掛かるから、可愛いのね?」 「そうとも言うね」 案の定、冴木君は好きで好きでたまらない表情をした。そんなに可愛がっている車を見てみたい。きっと手入れされてピカピカなんだろう。一応、免許証を持っている身としては気になる。 「ふふ。今度乗ってみたいな」 「大歓迎。いつでもどうぞ」 「ありがとう」 本当にドライブに行ける日がくれば、良いのにね。吐きそうになった溜め息を慌てて飲み込む。冴木君は気が付かなかったようで、ほっとした。 「じゃあ、来週の土曜日。さん、券、忘れないようにね」 「そんな、忘れ屋さんじゃありません」 「そう言いつつ、いま不安になっているでしょう」 「大丈夫よ。もうお財布の中に入れてあるもの」 声を立てて笑うと、冴木君は私の顔を覗き込んで言った。 「俺も」 その視線に、指先の温度が一度上がった気がした。胸の鼓動がどくんと音を立てた。一瞬にして、立て直しかけていた状態が元に戻る。現実を突き付けられる。 彼の一挙手一投足に揺らされる不安定な心。誤魔化す方法を始終模索する心。 「……あ、御飯、どうする?」 そっと目を伏せながら訊いた。何気なく聞こえていたら、良い。 「今日は和食はどう?美味しいものを少しだけ」 「うん、和食、良いわね」 答えながらも、意識は冴木君の言葉だけを追っていた。 駅から出て家までの道を辿りながら、隣を見上げた。 「ごめんね、冴木君」 「さん、『ごめんね』禁止。俺が送りたいから送ってるの」 「でも……」 「『でも』も禁止にする?」 笑いを含んだ声に、年上をからかって、と膨れる。 道は住宅街に入っていき、いまはまだ同じ電車から降りた人が何人かいるけれど、この先に行けば人通りはどんどん少なくなる。送ってもらえるのは、一緒にいられるのは、素直に嬉しい。だけど、これが次に繋がる一回になるのが困る。一回だけなら、色々理由が付けられる。二回になると慣れが生じて、三回続くと義務になってしまう。 冴木君がそういうことを苦にしないのは解っているから、余計に負担をかける訳にはいかない。そう銘じているのに、その端からこの状況が嬉しいと片隅が呟く。 「怒った?」 「怒ってません」 「じゃあ、拗ねてる?」 「拗ねてません」 「うーん、じゃあ、どうしたら機嫌直してくれる?」 「怒ってもいないし、拗ねてもいないし、直す機嫌はありません」 すたすたと先に立って歩き出すと、焦った声が後ろから追い掛けてくる。 「さーん」 「……なんて」 立ち止まって振り向くと、にっこり笑った。 「ほんと、こんなことで拗ねません」 「良かった」 すぐに冴木君は私に追いついて、二人で残りのほんの数分の道のりを肩を並べて歩き出す。 「折角、一緒に歩いているのに、隣で歩けないのは寂しいからね」 「そうね。うん。その通りだわ」 折角、一緒に歩いているのにね。ドキドキして、やきもきして、まるで地に足が着いていなくて、現実感がない。家まではあと少しで、少しでも一緒にいたくて、ばれないように祈りながら歩みを遅くする。 そんな祈りも裏腹に、何事もなく辿り着いてしまったマンション。エレベーターに乗るまで見送ると言う冴木君に押され、エレベーターが降りてくるのをホールで待つ。ゆっくりと降りてきたエレベーターに乗り込んで、四階のボタンを押した。右側に感じていた彼の体温が失くなってから、その温かみの愛しさに焦がれる。 「お休みなさい、さん」 「お休みなさい……」 別れたくないと思ってしまうけれど、引き止める術を私は持たなくて、せめて綺麗に別れられればと願う。 「今週の碁、頑張ってね。来週、楽しみにしてる」 心からの笑顔を向けて、冴木君を応援する。 「ん、有難う。さんもよく休んで、無理して体調、壊さないようにね」 「冴木君……」 閉まる扉の前に掛けられた言葉に驚いて“開”を押そうとして、手を止めた。扉を開いてどうするのだろう。溜息を吐いて、そのままエレベーターの壁にもたれかかる。 もしかして、私の調子が悪かったのに気が付いていたのだろうか?今日の和食は私の為に選んでくれたのだろうか?多分、おそらく、この推測に間違いはない。 どうして彼はそんなさり気ない気遣いが出来るのだろう。居心地が良くて、もう何処にも行きたくなくなる。彼の傍を願ってしまう。 「冴木君……」 呟く声は、自分の耳にも吐き気がするくらい甘く頼りなげで、泣きたくなった。 もう覚悟を決めるしかなかった−−。 |
済みません。また暗いままです。 浮き沈みが激しくて、色んな事、余計なことまで考えて、じたばたする。 あとから思い出すとみっともなくて、端から見るとじれったくて、誰もが通る道。…ですよね?私だけだったらどうしましょう…。 次で終わる予定ですが、いま現在、怪しく…、良ければまた覗いてやって下さい。 20031029 |