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所在不明な理由  +++++ 1
 カップの中の紅茶を一口分だけ残して、ソーサの上に戻す。溜息を薄く吐きながら、視線をテーブルの上の携帯電話の液晶に落とす。六時三十五分。彼女との待ち合わせ時間はもう疾うに過ぎている。遅れるのは何時ものことだけれど、やっぱり何時も、今日は時間通りに来るのではないかと思ってしまう。お店の入口にはウェイターとお客。見るともなく眺めていると、ウェイターが畏まった素振りで相手に頭を下げている。
「只今、満席で御座いまして、宜しければ此方でお待ち下さい」
 聞こえてきた言葉にそっと周りを見回すと、確かに全ての席が埋まっている。
 ウェイターのお客を大事にする姿勢は良いけれど、このお店はお客の回転が早い方ではない。というより、奥まったビルの中二階にある、あまり知られていないこのお店は、ゆっくりとくつろぐ人ばかりで一度埋まってしまった席はそうそう空かない。
 そのことを知っているのか、ウェイティングを告げられたお客も、ちょっと困ったように眉根を寄せた。男の人が独りでここに来るからにはきっと珈琲好きな人なのだろう。それとも私のように、待ち合わせか。まだ彼女は来そうもないし、あとどれ位かも見当が付かない。
 お店にもあの人にも申し訳ない気持ちになって、隣の椅子に置いていたバックを向かいの席に移した。
「あの……」
 入口に近い席だったのが幸いして、すぐにウェイターが振り向く。
「連れは一人なので、隣りをどうぞ」
 二人掛けの席を二つくっつけ、四人用となっているので、少しテーブルを離せば相手も自分も気にならないだろう。
「宜しいですか?」
「どうぞ」
 助かったような表情をしてウェイターは確認すると、さっとセッティングをして、お客を案内してきた。
「済みません。有難う御座います」
 案内されてきた人は、手足の長く、何処か優雅な所作が印象に残る人で、私に礼を言ってから斜め向かいの席に着いた。どう見ても私より若そうな人なのに、礼儀正しいなんて珍しい。
「いいえ」
 何でもないと返しながら、間近になったその人をちらりと見る。
アッシュグレイに染めた髪をさっぱりと切ったその下は、端整な顔立ちをしているのが判った。センスが良くて、何事もスマートそうな人。私とは別世界の人の雰囲気。
 軽く会釈をして視線を戻すと、興味を現在の懸案事項に戻す。もう一度、携帯の画面を見て時間を確かめ、その流れのまま、もう少し持たせようと思っていたカップの紅茶を飲み干してしまった。
 もう一杯頼むか、水で過ごすか……。
 そろそろ暖かいものが飲みたいし、段々お腹も空いてきたし、彼女が来たからといって、用事が終わるまでは御飯は食べに行けないだろうし。幾つか理由を挙げてから、ケーキセットを追加することにした。
 ウェイターに追加注文をすると、何度目かになる動作、入口に目をやって、溜息とも付かない息を吐く。
「−−待ち合わせですか?」
「え?」
 視線を彷徨わせると隣りのお客と目が合った。口許に僅かばかり笑みを掃くと、整った顔の中、その表情が優しいものになって、驚いた。さっきと雰囲気がまるで違う。
「あ、ええ」
 横で溜息ばかり吐かれると、いくら何でも気に障るだろう。
「ごめんなさい」
 思わず謝ると、彼は面白そうな顔をした。
「謝られるような事をされた覚えはないですけれど?」
「あ、ごめんなさい」
 条件反射で再び謝った私に、彼はくすくすと笑い出した。
 そこにタイミング良く、彼の珈琲と私のケーキセットが運ばれてきた。
 ウェイターが居なくなると、今度は彼の方が謝ってきた。
「済みません。席を譲って頂いた恩人なのに、笑ったりして」
「いいえ。こちらこそ、子供みたいな事をしました」
 そう言うと、何故かまた面白そうな顔をした。笑うのが好きなのかもしれない。笑う人に悪い人はいない。勿論、嘲り笑いは別だけれど。この人のは楽しくて仕方が無いという笑いだ。嫌な気持ちにはならない。
「もう長く待っているんですか?」
「あ、私?えーと、まあ、それなりに」
 彼はカップを、私はフォークを片手にぽつりぽつりと会話を交わす。
「それなり?」
「三十分くらい、かしら」
 本当はもうすぐ一時間になる。
「そんなに?!」
「え?長い……です?」
 あまりにも彼が驚いたように言うから、思わず訊いてしまった。
「普通は待っても十五分くらいだと思いますけど。先に帰ったりしないんですか?」
「んー、そうなの、かしら?でも、用事があるから会う訳で、ここで帰ったりしたら、待ち合わせた意味が無いし」
「それはそうですね」
 仕方ない、というように頷く。
「それに、待たされるのは何時ものことだし」
「何時もこんなに長く待たされるんだ」
 不味った。彼が額を困ったように少し顰めたのが判って、焦る。
 別に彼女を悪く言うつもりはなくて、ちょっとばかり時間にルーズでも、それは仕事の所為もあるし、彼女には他に良いところが沢山ある訳で、でも、それは彼女を知らない人には分からなくて、だからつまり、人に言うことではなくて。
「あ、いえ、そう言う訳ではなくて、えーと、ここは携帯、電波が入らないから……」
「−−連絡取れないんですね」
「ええ、そうなんです!」
 慌てる気持ちのまま、兎に角と、口にした弁解にもならない理由を、綺麗な形にして差し出してくれた彼の言葉に飛びつく。
 すると彼は表情を和らげるように笑んだ。そんな柔らかい笑い方を見たのは初めてで、驚いたのと一緒に、彼が失言に焦る私に何も気が付いていない振りをしてくれたのが分かる。
 ああ、この人は周りに大勢の人が居る環境にいるんだ−−。
 そんな思いがふと降りてきて、背筋を下から浚った。
 彼と対峙している状況とは別の次元でのその発生は静かで、私はただ彼の顔を眺めた。
「−−どうしたんですか?」
 彼は、突然、黙ってしまった私を不思議そうに見るのに、ちょっと笑って、言った。
「あ、ごめんなさい。あなたが、すごい良い人だから」
 すごい良い人だから、驚いていました。というより、感動していた、という方が近いかもしれない。
「えーと、褒められているのかな」
「勿論、最大限の讃辞です」
「それは有難う御座います。−−」
 口許で笑って、戯けた風に頭を下げた彼と目が合う。続けて、彼が口を開こうとした時、慌ただしい空気がお店の中に駆け込んできた。
「−−ごめん!。遅くなって、ごめん!!」
「あ、菜穂……」
 私を散々待たせた相手、菜穂だった。息を切らせる彼女に、向かいの椅子に置いておいたバックを引き取って笑いかける。
「ん。良いから、座って落ち着いて」
 けれど菜穂はそこに自分の大きな鞄を置くと、中からポーチを取りだし、もう一度謝った。
「着いていきなりでごめん。ちょっと化粧室に行って来ていい?」
「all right。いってらっしゃい」
 ひらひらと手を振って、彼女を見送る。
 一瞬の嵐のようで、今まで何をしていたか忘れてしまった。
−−あ。
「えーと、騒がしくて御免なさい」
 隣りを見ると笑いを堪えたような彼の目と合った。
「待ち合わせの相手?良かったね、来て」
「ええ。有難う」
「それじゃあ」
 彼はそう言って、伝票を持って立ち上がった。
「あ……」
突然のことに何故かしら慌てながら、ちらりと見るとカップの中身は全て飲み干されていて。
「有難う」
 苛々と溜息を会話で消してくれて。
「こちちこそ」
 小さな笑みと言葉を置いて去っていく彼の後ろ姿が視界から消えた頃、漸く息を整えた菜穂が戻ってきた。
「ごめんね。
「良いって。それより先に決めることを決めてしまおう」
「うん」
 多分、もう二度と会わない人だろうけど、逢えて嬉しくなるような人だった−−。




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御免なさい。ほとんど名前も呼ばれないし、冴木さんドリームの筈なのに、冴木さんの“冴”の字も出てこない……。
いくら初のドリーム小説といっても、酷いのではないかと、頭を抱えています。
出来るだけ早く、続きを書いて冴木さんもしっかり登場させたいと思っていますので、宜しければ、また覗いて下さいませ。
                                     20031001

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