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やじろべえ 〜静止状態に近付く為の揺れ〜 +++++ 2
 和谷はの出してくれた冷たいお茶を一気に飲むと大きな溜息を吐いて、そのままテーブルの上に突っ伏した。
「どうしたの?和谷くん」
 はくすくす笑いながら、和谷の空になったグラスにお茶を注いだ。
「有難う、さん」
 顔だけテーブルから上げると、和谷はを上目遣いに見る。
「冴木さんは何時頃戻ってくるの?」
「さあねぇ。和谷くんが来る少し前に出て行ったから、あと三十分は戻らないんじゃない」
「ふーん」
「それまでは役不足だけど、私で我慢してね」
 上体を椅子の上に戻すと、和谷ははっきりきっぱり宣言した。
「えー、俺、冴木さんよりさんの方が良い」
「あはは、有難う。素直な少年は、私、大好きだな」
 悪戯っぽく笑って、は和谷に冴木のお菓子を勧める。遠慮なく、和谷はお菓子に手を伸ばして口に放り込みながら、気になっていたことをに相談する。
「俺さぁ、冴木さんに悪いことしちゃったかも」
「そうなの?」
「うん。聞いてくれる?さん」
「良いわよ」
「俺、火曜に冴木さんが彼女と居るところに、顔出しちゃったんだ」
 和谷はに堰を切ったように話し出した。



 研究会の後、和谷は先に出た冴木を追い掛けた。今日はこの後、用事があるとかで電車で来たと言っていたから、迷わず、駅への道を目指す。何とか駅前で捕まえられるはずだと、和谷は肩から背負った鞄が揺れるのを押さえ、冴木の姿を道の先に探す。
 駅前の人混みの中、漸く見付けたその背は今にも改札の中に吸い込まれそうで、和谷は大声で彼の名前を呼んだ。
「冴木さんっ!ちょっと待って」
 振り返ったのは意中の冴木だけではなく、周囲の視線が一気に和谷に集まった。しまったと後悔しながら、近寄ってくる冴木に駆け寄る。
「和谷、お前なぁ」
「ごめんっ、冴木さん。つい焦って……」
「まあ、いいけどな」
「−−光二さん、誰なの?この子」
 不意に割り込んできた声の方を向くと、冴木の横に並ぶようにして女性が立っていた。長い髪にぱっちりした目が印象的で掛け値なしに美人だった。
 冴木のことばかり追っていたので見えていなかったが、ずっと冴木の隣りに居たような気がする。もしかしなくても、今日の冴木の用事の相手だろう。和谷は自分がまずいところに飛び込んだことに遅ればせながら気が付き、走ってきて身体は熱いのだが、頭の上から体温が下がったように思えた。
「俺の弟弟子。どうした?和谷」
「あ、うん。土曜日、遊びに行っても良いかな?」
「土曜?良いよ。ちょうども来るし」
「本当?」
 一緒で良いだろ?と言外に聞く冴木に頷く。なら和谷もよく知っているし、気さくな彼女は一緒にいて楽しかった。
「えー、私も土曜は光二さんを誘おうと思っていたのに」
「悪い。今回は先約優先な」
「ひどーい。週末に光二さんとゆっくり出来るなんて少ないのに。えーと、和谷くんだっけ。今回は私に譲って」
「あ……え、でも」
「郁奈ちゃん。この埋め合わせはするから」
「えー」
 ね、と冴木が彼女ににっこりと笑う。女性相手に効力を発揮する冴木スマイルに、不満そうだった彼女も渋々と了承した。
「じゃあ、和谷。土曜はいつ来ても良いからな」
「うん、ごめん」
 そう言うと、冴木はくしゃりと髪をまぜて、「こっちこそ、ごめんな」と小声で和谷に言った。



「−−なんかさぁ。彼女に申し訳ないような気がするし、冴木さんにも悪かったかなぁ、って気になってるんだ」
 話し終えて、ぱったりとテーブルに倒れた和谷は、時折、頷きながら最後まで黙って聞いてくれたを伺い見た。
「そうかぁ。私は和谷くんに感謝しないとね」
「え?」
「和谷くんがその時に光二くんに約束を取り付けてくれなかったら、今日の私の予定はキャンセルされていたかもしれないでしょ」
 にこりと笑ったの言葉に和谷は首を振った。
「違うって。そもそも俺が彼女の前で言わなければ、彼女はそんなこと言い出さなかっただろうし。今だってさんの邪魔してるみたいだし」
「それは違うんだなぁ。彼女と私だったら、光二くんは彼女のお願いを優先させるわよ。でも、弟弟子の和谷くんと彼女で、なおかつ先約だったら、和谷くんを取るから、本当に危ういところだったわ」
「そんなことないって!」
 どう考えても最優先はで、自分が最下位だろうと、到底納得出来ない関係の秤に抗議する和谷には内緒話をするように声を潜めた。
「光二くんの弱点、教えてあげようか?」
さん?」
 唐突な言葉に和谷が首を傾げると、は楽しそうに言葉を続けた。
「光二くんはね、弟とか、後輩とか、自分の庇護下にあるものに甘いのよ」
「それは、ちょっとは思ったことあるけど……」
「だから、和谷くんはそんなに気に病まないで良いと思うわ。その彼女ともあまり長くないかもしれないし」
「何で?」
「んー、何となく」
「それは長年の勘?」
「そんなものかしらね」
 困ったような表情で口許に笑みとも言えない感情を漂わせるに、和谷は衝動的に口を開いてしまった。
「ねぇ、さん。訊いていい?」
「答えられることなら、どうぞ」
 は冴木をどう思っているのか?
 二人が友人と称される間柄だと言うことはよく分かっていたが、それでも和谷には冴木の横に立つのはでなくてはダメな気がしてならなかった。だから、に冴木を好きだと言って欲しかった。
「……あ、さんは、冴木さんと知り合って何年になるの?」
 だけど、口から出たのは違う言葉だった。
 冴木が彼女と別れる度に、と付き合えば上手くいくのにと思うが、いつだってそんな素振りは少しも見えず、ただ、友人と言うには近すぎる距離を保ったままの二人に、部外者の自分が何を言えるのだろう。二人の関係を動かす力も権利も自分にないと、和谷はよく分かっていた。
「知り合ってから?」
 小さく笑うには、本当に訊きたかったことを承知しているように見えて、和谷は目を伏せた。
「何年だろう。もうすぐ十年、かな」
「俺と同じなんだ」
「あら、そうすると光二くんに関しては同級生ね」
 が湯呑みに手を伸ばして、一口、お茶を啜った。
「俺がさんと同級生?」
「あ、いま嫌がったでしょう」
「えっ!違う、違う!嫌がってないっ」
 慌てて、目の前で両手を振るが、はしれっと和谷を追い詰める。
「いいのよ、隠さなくても」
「隠してないって!さんと同級生だなんて、冴木さんに悪いなって思って」
 とにかく、本当のことを言わなくてはと告げた言葉に、は一瞬、口を噤み、それからしみじみと和谷を見詰めて言った。
「……本当に和谷くんて光二くんが好きなのね」
 の発言を聞いて、和谷は、ごほっと咳き込んだ。
さんっ!」
「なに?」
「……何でもないです」
 何か悪いこと言ったかしらと茶目っ気たっぷりの笑顔でもって、聞き返すに和谷は降参した。
「うん、私も好きよ」
「え……」
 そう言って笑ったの表情に何か特別なことを言ったような彩は見えなかった。和谷はやはり、さっき本当に尋ねたかったことを悟られていたのだろうと、少しばかり居心地の悪い思いをしながらも、たとえ自分の願う意味でなくてもその言葉をくれたに感謝した。
「うん……





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以上、和谷編でした。冴木さん本登場なしです。このサイトでは今更のところが何とも言えません(汗)。次は出突っ張りの予定(……)です。
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