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幸福論改訂  +++++ 14
 ソファを背もたれにして絨毯の上にぺたりと直に座る。日曜の午後、窓からは陽光が惜しみなく降り注ぎ、リビングを明るくしていた。動くもののない部屋には音が無く、ただ静かだった。理想的な休日の午後。
 本当なら、やりたいことは色々ある。いつもは出来ない所の掃除や、大きめの日用品の買い出し。溜まった本やビデオも消化したいし、聴いていないCDも幾つかあった筈。久々に手の込んだ料理を作るのも良いかも。
 数え上げれば沢山あるしたいことを、どれ一つやろうとせず、どうしてここに座り込んで居るんだろう。
 ソファのクッションに頭を預けて天上を見上げる。
 何もする気になれない。多分、そんな日があっても良いと思う。
 絨毯の上に手も足も投げ出したまま、目を瞑った。それでも耳は何の音も拾ってくれない。そんなに防音に優れたマンションではないのに、外界の音すら聞こえてこない。この床の、厚いコンクリートの下の物音も聞こえない。
 聞こえれば良いのに。
 絨毯の上を、指を滑らせる。握り拳を作って、床を叩いた。
 音は絨毯に吸収されて、ほとんど立たなかった。
 もう一度、叩く。モールス信号を知っていれば良かったけど、生憎、そんなものは知らないから、ただ言葉の数だけ二度叩く。
 届いて欲しい。そう思っての行動。
 今更、だと思う。どんな顔して彼にその言葉を言うのか、考えただけで厚かましい自分が恥ずかしくて堪らない。そして彼にどう思われるのか、彼がどう答えるのか恐くて堪らない。それでも彼の側に居たいから、彼と情を交わしたいから、少しでもこの希みが叶う可能性があることに、形振り構っていられない。
 だからありとあらゆるものに対する勇気を出そうと思う。
 小さく溜息を一つ吐くと、握り拳を解いて、絨毯を撫でた。


  †


 久々の二連休。何をしようかと、お茶を飲みながら昼食の片付けが終わった後のダイニングを見回す。天気が良いから、布団でも干そうかと窓ガラス越しに日が燦々と照る外を見る。ついと切り取られて僅かに見える空を眺めるように、視線は自然と上を向く。何をしているか気になるのは、仕方がないと思う。思考を振り払う為に、再び、これからの予定を考え始めたところ、インターフォンが鳴った。共同玄関からの呼び出しで、宅配便が来る予定でもあったかと、首を捻りながら出た。
「−−おう、冴木。オレオレ、岡田」
 小さな画面に映ったのは同期の岡田で、珍しいと素直に驚く。
「ちょっと待て、いま開ける。どうした?」
 部屋から共同玄関のドアを解除すると同時に、画面から岡田が消えて、何やら沢山の影が映った。
「やっほー、冴木くーん。遊びに来たわよ」
「俺もな」
  人影を判別するまもなく、後ろから聞こえる『行くぞ』との声で、画面は見慣れた背景だけになる。岡田が碁の仲間を引き連れてきたらしい。最近、付き合いを断ってばかりいたから、心配してか、様子見か。どちらにせよ岡田らしい行動に苦笑が零れる。
 さて、何人分の影があったか、脳裏に残った先程の映像を解析しながら、お茶の用意をする為にキッチンへ足を向けた。

 岡田に、中山、篠田、桜野嬢に相馬嬢と、総勢五人のお客を迎え、一気に部屋が賑やかになった。特に、女性陣が居ると場が華やかになる。一日、閉じこもっていた時とは違う部屋のようだ。こんな休日も良いかもしれないと、少しだけ岡田に感謝をしながら、頂き物のケーキに合わせて、コーヒーの支度をする。
 ちょうど、もう少しでお湯が沸きそうという時、家の電話が鳴った。
「冴木ー、電話だぞー」
「いま行く」
 リビングに向かって声を張り上げ、火を止めるか一瞬、迷う。
「冴木くん。私が見てるから大丈夫よ」
 天の声と共にキッチンに顔を出した桜野さんに拝み、急いで電話口に向かった。
「−−はい、冴木です」
『あ……です』
「……さん」
 思い掛けない声に、一瞬、息が止まった。どのくらい振りに聞いたんだろう。彼女の声は記憶の中のそれよりも、高く聞こえた気がする。まだ、胸が甘く疼かずにはいられないのを抑えるように右手を握る。
「お久し振りです」
『ご無沙汰してます』
「和谷が、この頃、顔を見せてくれないって、拗ねてますよ」
『あはは。和谷くん、元気?』
「あいつは元気が取り柄ですから」
 何もなかったような、さり気ない会話を交わしていても、心中には余裕が無い。最早、部屋に居る岡田達も意識から切り離され、ただ彼女の声だけを聞き取ろうとする。それを邪魔するかのように耳許で響く、自分の鼓動が煩くて堪らない。
「……どうしたんですか?」
 彼女が明るい笑い声を立てたのを機に尋ねる。
『あ、えーと、今日は忙しい?』
「−−冴木くーん。これ、どこ?」
 問い掛ける彼女の声に、重なるようにして桜野さんの声が響いた。不意のことにキッチンを見遣ると、しまったという表情をして桜野さんがコーヒードリッパーを片手に持っていた。謝るように両手を合わせるのに頷くと、意識をさんに戻す。
「これからですか?」
 今すぐは流石に無理だけど、みんなが帰ったらその後の予定なんて何もない。久々に逢えると思うと、完膚無きまでに振られていても嬉しくなる。
『−−ごめんなさい、気が付かなくて。お客様、いらしてるみたいね。またにするわ』
 浮き立つ心に冷や水を欠けるが如く、桜野さんの声が聞こえたらしいさんは、先程の誘いの言葉も存在しなかったように、あっさりと電話を終わらせる言葉を口にした。
「お客ってほどではないので、気にしないで下さい」
 焦りのまま、本音を口にするが、何の役にも立たない。
『そんなこと言っちゃ、駄目でしょ。じゃあ、また』
「でも、さん。何か用事があったんではないですか?」
『ううん。大したことないことだし。それじゃあ』
「あ……」
 彼女を引き留めようと言葉を紡ぐが、それも甲斐なく、受話器は回線が切れる無情な音を立てた。
 夢から覚めたような心持ちで受話器を置くと、一つ溜息を吐いた。このタイミングの悪さは巡り合わせなのかもしれない。そう言い聞かせて、背後の賑やかな空気に交ざる為に、頭を一つ振って気持ちを切り替える。彼女の居ない日常に戻れるよう。
「ごめん。桜野さん」
 ソファに陣取って盛り上がっている岡田達を横目に、呼ばれたキッチンに入ると、手入れされている綺麗な手で桜野さんがコーヒーを落としていた。
「あ、電話終わった?さっきはごめんねー」
「構いませんよ。どうしました?」
 当たり前だが、終わった電話は桜野さんの所為ではない。笑んだ顔が強張って見えたかもしれないが、それは許して欲しいと思う。
「フィルターが見当たらなかったから声を掛けちゃったんだけど、電話中だったから、家探しさせて貰っちゃったわ」
「ああ、そう言えば。すぐ見付かりました?」
 薬罐からは一定に調整された湯量が注がれて、良い香りが広がっている。コーヒー党なのかもしれない。ここは任せてしまおうと、添えものの用意をすることにした。
「うん、すぐ。冴木くん、整理整頓好きのA型でしょ。キッチン、綺麗なんだもん」
「普通でしょ?」
 砂糖をティーセットの砂糖入れに移し替え、冷蔵庫からコーヒーミルクを出す。
「男の一人暮らしでこんなに綺麗なんて、普通じゃないわよっ」
「ははは。褒め言葉として受け取っておきます」
「全く女の立場がないじゃない」
「女性は居るだけで良いんですよ」
「もうっ。どうしてこの男は女を嬉しがらせるのが上手いのかなぁ」
 ガチャッと薬罐をコンロに置くと、桜野さんは俺の二の腕を抓り、後はお願いとキッチンから出て行った。残された俺は痛みのない二の腕を、それでもさすってみた。

 コーヒーのお代わりも無くなりかけ、それなりの盛り上がりに、お茶とお菓子の追加が必要そうだと立ち上がった。
「冴木、煎餅ないの?せんべい」
「ちょっと待て。いま持ってくるから」
「あるんだー、お煎餅」
「ありますよ。クッキーもチョコレートも、お茶のお伴は各種取り揃えております」
「うわー、意外!」
「こういう意外性が良いでしょ?」
「自分で言うなよな」
 笑いながらキッチンへ行きかけた時、ふと窓の外を見たのは何でだったのか。
 窓の外の、僅かに見えるマンションの入り口に通じる歩道を目にしたのは。そこに兄弟子の姿を見つけた巡り合わせを何と言えばいいのか。
 思い浮かぶのは、先程のさんの声。
 白川さんがこのマンションを訪れる理由は彼女しかない。
 彼女に何があったのかと心配する心と、白川さんよりも先に頼ってくれた嬉しさが綯い交ぜになって胸の中を満たす。
 知らず、足が玄関へと向かった。
「冴木?」
 岡田の声に我に返る。
「あ、えーと。岡田、ちょっと」
 気まずい思いを隠すように岡田を呼ぶと、キッチンに引っ張り込んだ。
「どうしたぁ?」
「悪い。ちょっと用事があるんだ。すぐ戻るから頼む」
 新しくお湯を沸かし、菓子入れから煎餅とクッキーと、あるもの全て取り出す。
「用事って、どこ行くんだよ」
「上」
「うえ?」
 素っ頓狂な岡田の声に頷くと、お菓子を盛った皿を手渡した。
「悪いな。当分のお茶の支度はしていくから」
 一刻も早く彼女に逢いたいと、心の底から思った。




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ようやく冴木さんの本領発揮…しているように見えると良いんですが(汗)。そして、ようやくゴールが見えてきました。次は間をおかずに更新したいなぁ、と思います(希望)。                         20050301

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