dream
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幸福論改訂  +++++ 5
「−−はい、です」
 携帯に掛かってきた公衆着信の電話を取った。ここのところ残業がなくて、今日も早々に家に帰ってきてのんびりしていた。夕食も適当に作ってすませ、ソファで雑誌を捲っていたところの電話で、携帯を片手にお茶でも飲もうかとソファを立つ。
『……?』
「……っ」
 受話器から聞こえてきたのは彼の声で、思いも掛けないことに言葉を失った。
『久し振り。二ヶ月ぶりだね。君がどうしてもって、別れてから』
 柔らかい話し方は相変わらずで、胸が詰まる。今まで何のアクションも無かったから、油断をしていた。従兄にあれだけ気を付けるように言われていたのに。
『もう口もきいて貰えないのかい?』
「何か用?」
 声が震えていないことを頭の片隅で祈った。無防備なところを狙われて、身動きが取れない。何が、どうして、今更って、疑問が頭の中を駆けめぐる。
『よりを戻せないかと思って』
「その話は何度もしたじゃない。もう関係を続ける気はないから」
『将来を考えて、という君の言葉に仕方なく受け入れたけど、本当は彼氏が出来たからなんだろ?』
 出来るだけ、穏和に、何でもない風にと繕っていたところに、よく分からない言葉を投げられ、困惑した。
「何のこと?」
 彼がこんな風に優しそうに話す時は、本当は気に入らないことがあるときだと私は知っている。もうずっと見詰めてたから。
『いつから付き合ってるんだ?俺と付き合ってた時からか?』
「何の話をしているの?!」
『髪をグレーに染めてる背の高い、今時の子だね。年下だろう?』
 冴木くんのことだ。一緒にいるところを見て、誤解をしているんだと、ようやく分かった。一体、いつ、そんな疑問が浮かんだが、次の言葉で全てが吹き飛んだ。
『彼に言ったらどうなるかな、俺と付き合ってたこと。言ってないんだろ?』
 脅しのような言い種に、涙が出た。
 何をどうしたいんだろう、彼は。よりを戻したいという言葉が本当なのか。それともただ言い掛かりを付けたいのか。所有物を取られたという子供のような嫉妬か。その可能性の方が強いと、苦く笑った。
 それでも。嫉妬してくれるなら嬉しいと思ってしまう自分がいて情けない。どうしようもないくらい、まだ好きだった。だけど……。
ここで流される訳にはいかない。従兄を頼ったことも、別れて頭が痛くなるほど泣いたことも、全てが水の泡になってしまう。
「彼は従兄弟よ。残念ながら、あなたが思っているような関係じゃないけど、よりを戻すつもりもないから。もう終わったことでしょ?あなたには奥さんと子供が居るじゃない。私とは関係ないところで幸せになって」
『妻とは別れるって言ったら?』
 別れるなんて出来ない癖に、紡ぎ出される甘い言葉に胸がざわめく。
「もう、終わったの。それじゃ。あ、また掛けてくるようなことがあったら、携帯変えるから。お元気で」
 一気にそこまで言うと返事も待たずに切った。一つ、溜息を吐いた。深い深い溜息を……。
 一つの通過点をやり過ごしたことと、多分、彼の手を元通りに取れる最後の機会を捨てたことを、まざまざと感じた。
 手の中の携帯を見る。数秒前まで彼と私を繋いでいたもの。懐かしい、柔らかい声。もう一度好きだって言って貰いたかった。あんな言葉じゃなくて、囁いて欲しかった……。
 目蓋の裏が熱くなり、目の縁に涙が溜まっていく。前がぼやけて、涙が耐えきれなくなったように頬を流れた。
「莫迦!」
 手に持った携帯を床に投げ付けた。ガシャッと大きな音がして変な方に曲がり、外れた蓋から充電池が飛び出る。
 悔しくて、哀しくて、どうしようもなくて、ソファの上のクッションを掴むと、転がった携帯を何度も叩く。
「ばか!ばか!ばか!!」
 胸が痛くて、熱い塊が喉を塞いで嗚咽が漏れる。哀しくて、痛くて、愛しくて、止まらない痛みにただ涙が流れた。
 好きで、好きで、大好きで。だから、だけど、胸を切られる想いで別れ話を切り出したのに。そんな私の想いも知らず、別れたくないって言い張ったあなた。そんなところもすごい好きだった。莫迦みたいにあなたを愛してた。
 今でもまだどうしようもない程、愛してる。ずっとずっと傍に居たい。あなたを見ていたい。だけど、それは許されないこと。間違ったことは長続きはしなくて、もっと傷つけて終わるから、今のうち、まだ好きなうちに思い出にしたかった−−。
「ばか!ばか−−」

“キンコーン、キンコーン”

 突然、チャイムが鳴っていることに気が付いた。どうしよう……。いつから鳴っていたんだろう。振り上げていたクッションを下ろし、迷う。
「−−さん、居るんでしょう?大丈夫?」
 遠くで誰かが私の名前を呼んでいた。
 あれは……冴木くん?
 目一杯の力で掴んでいた所為で強張っている指をクッションから一本一本引き離すと、のろのろと玄関に向かった。


  †


 いきなり天井から鈍く硬い音が響いてきた。さんが何か失敗でもして落としたのかと苦笑を浮かべて、次の瞬間、思い違いを悟った。規則的に柔らかい衝撃音が途切れず続いて聞こえてくる。
 何があったんだろう?そう訝しんだあと、泥棒かもしれない可能性に思い当たった。急いで携帯を掴み、上の階へと急ぐ。途中、さんに掛けた携帯は圏外で尚更、焦った。
 部屋の前で耳を澄ますと確かに部屋の中から物音が聞こえてくるが、チャイムを鳴らしても中からの音は途切れない。
さん!居るんですか?」
 世間体なんか構ってられず、何度も呼びかけながら、チャイムを鳴らした。
さん!」
 聞こえない筈はないのに、少しも音が止まないことに焦って、管理人に言って鍵を開けて貰うか、それとも……と考え始めた時に、扉の向こうに気配がして、鍵の開く音がした。泥棒か、それともさんか、もしくは、と身構えながら、扉が開くのを待った。
「−−冴木くん、ごめんなさい」
 ひっそり開けられた扉の陰に、小さく笑みを貼り付けたさんの姿があった。その姿が痛々しそうに見えるのは、顔に涙の跡がくっきりと残っているからだ。充血した目に、赤くなった鼻の頭、頬に残る涙の筋に、濡れた声。
さん、どうしたんですか?」
 その様子が目に入っていないように、普段通りの口調で彼女に声を掛ける。
「あ、うん……」
「いまお一人ですか?」
「うん」
「あげてもらっても構いませんか?」
 詳しいことを訊こうなんてことは思わないけれど、こんな状態のさんを一人で置いておけない。
「あ、ごめん。あがって」
 どこか心在らずの状態で俺を家にあげると、先に立っていたさんは一歩リビングに入って立ち止まった。
「ぁ−−」
 小さく呟いたさんの後ろから部屋を覗くと、床の上に携帯が普通じゃない状態で落ちていた。のろのろと、さんは携帯の脇に膝を着くとそれを手に取った。
「落としたんですか?」
「−−うん。落としたの」
 そう言ったさんの頬を涙が伝っていた。
さん……」
「ごめ……、何でもな……」
 零れた涙を手の甲で拭うと、次から次へと溢れる涙を止めようと、目頭を押さえる彼女の側に寄って、その肩に手を置いた。
「泣ける時に、泣いた方が良いですよ。その方がすっきりします」
「さ、さえきくん……」
 真っ赤に充血した目と合って、その痛々しさに彼女を胸の中に引き寄せていた。一瞬、身体を固くして、それから縋るようにしてさんは泣き出した。腕の中で身体を震わせ、嗚咽を漏らす彼女の背をゆっくりさすりながら、そっと繰り返した。
「大丈夫。大丈夫だから−−」





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彼女の引っ越しの理由。やっと書けました。
こういうのが苦手な方がいらしたら、ごめんなさい。どこかに書いておいた方が良かったでしょうか…。
何かありましたら、web拍手に一言入れて頂けると嬉しいです。
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